2006年06月11日

飯守神社(いいもりじんじゃ)(町田・真光寺)

飯守神社札黒川の鎮守様「汁守神社(しるもりじんじゃ)」に対して、隣町 町田市真光寺町にある「飯守神社(いいもりじんじゃがあります。東京都府中市にある「大国御魂神社(おおくにみたまじんじゃ)」の末社として祭礼の時に、昔はそれぞれ「汁物」と「飯物」を奉納してきたと伝えられています。今日は、「飯守神社」をご紹介しましょう。


飯守神社山門1東京都町田市真光寺町にあり、周囲は鬱蒼とした木々に囲まれた環境の中に「飯守神社」は鎮座しておられます。昔からの風情をそのまま今に伝えているのでしょう。

 

 



 

飯守神社大欅木の鳥居をくぐると直ぐに左前に巨大な欅の木がそびえ立っています。ものさしで測ってみたところ、周囲は4.7mありました。私の計算が間違っていなければ、直系はおよそ1.5mということになります。町田市の保存樹に指定されています。

 

 



飯守神社1
写真でご覧のように、神社の屋根に特徴があります。二つの屋根が印象的です。

また境内は、氏子の人たちによる手入れが良く行き届いていて、綺麗に維持されています。

 

 

 


 

飯守神社2私は飯守神社の氏子ではないので、詳細な説明をするだけの知識を持ち合わせておりません。従って無責任な解説は、氏子の皆様に失礼なので慎みます。

 

 

 


 

飯守神社縁起板

神社の拝殿(本殿)左上にある「飯守神社縁起」を、忠実にここに掲載させていただき、飯守神社を理解させていただく よすがとさせていただきます。

 

 

 

飯守神社縁起

祭神 興津彦命(オキツヒコノミコト)

   保食神(ウケモチノカミ)

合祀社 神武天皇・神明社・諏訪神社

    金比羅大権現・秋葉大権現

    道了大権現・八雲神社・八坂神社

    日吉神社・東照宮

由緒

慶安三年(1650)三月領主飯田次郎右衛門重家、

観泉寺脳山門龍等によって遷宮され飯盛明神と称した。

又鳥居下から古墳時代前期の祭祀用土器が出土し

当地が昔から神域であったことが窺われます。

文化七年(1810)遷座の後、新編武蔵風土記は、

「本社に覆屋あり」と述べております。

以前から当社は、武蔵の総社「六社宮」(現大国魂神社)

と関わり深く、総社例大祭時の献饌之儀に御食を司って

居たことから社名「いいもり」が起こったと伝えられます。

明治四年飯守神社と改められ、大正二年境内末社が

合祀され(境内東地区に跡地が残ります)昭和二十九年

宗教法人となりました。

境内社 武蔵御嶽神社

祭礼行事

 例祭  九月十八日

 風祭  八月二十八日

 四方祭 元旦町内会合同年賀

 七五三

社殿等 

 本殿 柿葺き一間社流れ造り

 覆殿 拝殿神明造り

 鳥居 両部鳥居高さ九尺

境内  三〇〇一坪余

奉納 縁起板 小野重雄 平成一五年

 

飯守神社境内

 

鬱蒼とした緑に囲まれた静かな飯盛神社とその境内

 

 

 

 

           「汁守神社(神奈川・川崎・黒川)について」