2006年06月04日

気になる歌碑

善正寺片平の善正寺の墓地に、前から気になっていた歌碑があった。

農民歌人と言われた「中山徳次」の歌碑である。

 

 


歌碑には

わが屍(かばね) 埋めし塚は 掃かずおけ 雑木落葉は あたたかきものを

                            中山徳次(尚輝書)

 

中山徳次歌碑この歌は中山氏が八十一歳にして初めて世に送り出した歌集「己(おのれ)励ます歌」(編集・浜田蝶二郎)の最後に位置づけられた一首。中山氏の人柄が滲み出たしみじみとした佳詠である。長い遍歴の後に到達した境地であった。

 

秋が深まり、雑木の黄葉がほのかに色づくとき、丘一面が言い知れぬぬくもりをもつ。

そのぬくもりは母のぬくもりであった。

 

この歌は、「ははそ葉にこめられた哀愁」と言われている。

「ははそ(柞)」とは、楢(なら)・櫟(くぬぎ)の総称である。

柞葉(ははそば)は、母の枕詞(まくらことば)であった。

中山氏の歌集には母の歌が多い。

 

中山氏は父の早逝に遭ったので、悲哀と寂寥感(せきりょうかん)の漂う句が多い。

それもこれも母一人子一人の「家」を守るためのものであった。

 

柞葉(ははそば)は、母傍(ははそば)であり、そのぬくもりを雑木落葉は象徴していた。

   

(「からむし」18号 平成6年8月31日号記載の 中山徳次氏二男 中山清胤の文章を引用・参考にした。)

 

善正寺の望月和尚さんと雑談をしているうちに、歌人の中山徳次氏は私の中学時代のクラスメートの祖父であることが分かりました。

中山徳次氏は、昭和48年1月30日に この歌を残して 81歳の天寿を全うされました。また石碑の歌を揮毫した 息子さんの中山尚輝氏はクラスメートのお父さんで、平成10年8月26日に85歳で逝去されました。

 

徳次氏が農家で生まれ育ったため、生活の場であった自然をいつくしみ、また里山にある楢(なら)や櫟(くぬぎ)の木々を大事にしていて、それらの葉もまた肥料や苗床の保温材として使えるなど 無駄に出来ない愛着のあるものと考えておられたのでしょう。

 

楢(なら)・櫟(くぬぎ)のことを、「ははそ(柞)」と呼びその葉は「ははそば」即ち「母傍(ははそば)」と重ねて、自分のお墓に落ちてきた枯葉は、ははそばでありお母さんであるからして、『掃除などしないでくれ、お母さんにそばにいてもらえることによって、安心し温かい母のぬくもりを感じるから』と言っています。

 

徳次さんの温かいお人柄、お母さんを慈しむ心が良く理解できます。