農民歌人と言われた「中山徳次」の歌碑である。
歌碑には
「わが屍(かばね) 埋めし塚は 掃かずおけ 雑木落葉は あたたかきものを」
中山徳次(尚輝書)
この歌は中山氏が八十一歳にして初めて世に送り出した歌集「己(おのれ)励ます歌」(編集・浜田蝶二郎)の最後に位置づけられた一首。中山氏の人柄が滲み出たしみじみとした佳詠である。長い遍歴の後に到達した境地であった。
秋が深まり、雑木の黄葉がほのかに色づくとき、丘一面が言い知れぬぬくもりをもつ。
そのぬくもりは母のぬくもりであった。
この歌は、「ははそ葉にこめられた哀愁」と言われている。
「ははそ(柞)」とは、楢(なら)・櫟(くぬぎ)の総称である。
柞葉(ははそば)は、母の枕詞(まくらことば)であった。
中山氏の歌集には母の歌が多い。
中山氏は父の早逝に遭ったので、悲哀と寂寥感(せきりょうかん)の漂う句が多い。
それもこれも母一人子一人の「家」を守るためのものであった。
柞葉(ははそば)は、母傍(ははそば)であり、そのぬくもりを雑木落葉は象徴していた。
(「からむし」18号 平成6年8月31日号記載の 中山徳次氏二男 中山清胤の文章を引用・参考にした。)
善正寺の望月和尚さんと雑談をしているうちに、歌人の中山徳次氏は私の中学時代のクラスメートの祖父であることが分かりました。
中山徳次氏は、昭和48年1月30日に この歌を残して 81歳の天寿を全うされました。また石碑の歌を揮毫した 息子さんの中山尚輝氏はクラスメートのお父さんで、平成10年8月26日に85歳で逝去されました。
徳次氏が農家で生まれ育ったため、生活の場であった自然をいつくしみ、また里山にある楢(なら)や櫟(くぬぎ)の木々を大事にしていて、それらの葉もまた肥料や苗床の保温材として使えるなど 無駄に出来ない愛着のあるものと考えておられたのでしょう。
楢(なら)・櫟(くぬぎ)のことを、「ははそ(柞)」と呼びその葉は「ははそば」即ち「母傍(ははそば)」と重ねて、自分のお墓に落ちてきた枯葉は、ははそばでありお母さんであるからして、『掃除などしないでくれ、お母さんにそばにいてもらえることによって、安心し温かい母のぬくもりを感じるから』と言っています。
徳次さんの温かいお人柄、お母さんを慈しむ心が良く理解できます。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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