2006年04月28日

江戸時代の農民のくらし(1)

村役人

領主の多くは、江戸住まいのため、直接村の仕事をするのは名主・年寄・百姓代でこれを村方三役といいました。


<名主> 初めは、家の格が尊重され、家柄の良い旧家が、ついで石高の多い財産家が代官や旗本から指名されました。世襲的で名誉職でした。仕事としては文書の整備・保管・年貢の完納・村民の取締り・他村との交渉などでした。

 

<年寄> 中流以上の百姓から、筆算に長じ、人柄のよいものが、村の大小により一人から三人の範囲内で百姓の相談により決めました。名主の助役で、地方によっては組頭ともいわれました。

 

<百姓代> 総百姓の代表で、人物の優れたものを一人だけ選びました。百姓の利益を守る代表でした。

 

五人組

鳩のアニメ諸規則を守らせたり、農業に精を出すように、またお互い同士監視させるために、慶長8年(1603)十人組制度を、ついで五人組制度を一人残らず含めてつくらせました。その代表を組頭といいました。

 

この制度は一面では向こう三軒両隣というように、隣近所は助け合わねばやっていけない、特に農業では一軒だけの自立は困難です。田植え・道普請など共同作業が必要です。

 

五人組の制度はこれをうまく利用しました。現在でも組合として、冠婚葬祭にはなくてはならない役目を果たしています。

 

(出典:「ふるさとは語るー柿生・岡上のあゆみ」柿生郷土史刊行会)