2006年04月04日

黒川の桜 その2

樹齢400年の山桜 

山桜1地元の人が毎年この山桜の咲くのを心待ちにして、『お陰さまで今年も何とか山桜を見ることができた。来年も健康でこの山桜が見られたらいいな!』と、人生の生きている証を確認する山桜。


山桜2ひっそりとした里山の奥深い農家の庭先にたたずむ樹齢400年の山桜は、川崎市の保存樹木に指定されている。

 

 

 

 

 

山桜3この山桜は個人の宅地にあり、観光目的の樹木では無い。従って観光のための受け入れ施設は一切無く、周囲は個人の所有する畑に囲まれている。

 

トイレ、休憩施設、売店、駐車場などは、まったく無い。1km以内にも、まったく無い。

 

 

山桜4土地を所有する地主さんが、先祖からの遺産として引き継いできたこの山桜を、今まで個人の力で守り維持してきたもの。

 

 

 

 

 

山桜5台風が来て老木の山桜の枝が折れれば始末し、老衰の桜の枝が枯れて落ちそうになれば自分で切り落として安全を確保している。

 

 

 

 

 

山桜6近年は人から人への口コミで有名になった山桜は、開花シーズンには多くの人が訪れるようになったが、宅地・農地の中にある個人所有の 個人が管理している山桜であることを充分認識して、節度を持って桜をめでていただきたいと思う。

 

 

 

(付録)

日本経済新聞平成18年4月7日(金)夕刊コラム「明日への話題」

登山家 田部井 淳子氏 「三春の桜」に、日本人はサクラを見に山へ行った という文章がありますので、ご紹介します。

********************************

(前略)

”サクラ”のサは神稲のこと。穀物に宿る神霊、つまり田んぼの神様を意味しクラは座のことである。昔から日本人はサクラを見に山へ行った。田植えの時はその田の神様の宿る山へあいさつに行き準備に入るのが慣わしだった。最初に植える苗を”さなえ”、苗を植える女の人のことを”さおとめ”、田植えの前の田起こしの祝いを”さおり”、田植えが終わって祝うのを”さなぶり”、その頃に出てくるはえを”さばえ”、降る雨を”さみだれ”という。サクラ見は田の神の宿る山へ行って豊作を祈る欠かせない行事の一つだったのだ。

 

今、桜の下で宴会をする人たちはこんなことは考えてもいないだろう。三春の滝桜の子を私は自分の家の庭と母校である昭和女子大学に植えている。遠く祖先や田んぼのことに思いをはせる大事な樹として残したいと思ったからだ。

********************************

田部井氏は、サクラが田んぼの神様を意味するという。

黒川に住む大先輩の方に確認をしていないが、やはり農家の1年の最大の仕事は「米作り」であり、それがうまく行くようにその年の最初に咲く山桜に、田に水を供給する里山に、田の神様が宿る山にあいさつに行くということは、充分考えられることだ。そうだとしたら、黒川の樹齢400年の山桜も昔は農家の人が田んぼの神様であられる山桜へ米の豊作を祈願するために、桜を見に行ったと考えてもおかしくは無いと思うが。

今の物見幽山としての桜見学とは、意味が違うし重みが違う。昔は農家の生活が懸かっていたのだから。