2006年03月15日

黒川村を駆ける武蔵武士

 

 

しばらく休んでいました黒川関連の歴史について触れます。お付き合いください。

 

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源頼朝は、鎌倉に本拠を置き東国の武士団を組織し、わが国最初の武家政権である鎌倉幕府を1192年に開きました。


 

こぶし1鎌倉時代の武士の中で、麻生区多摩区に最も関係があり、名の知れた武士としてあげられるのは、稲毛三郎重成と小山田一族です。重成は、小山田三郎、小山田重成ともいい、小山田一族の出身です。父の小山田有重は小山田別当として、武蔵国多麻郡小山田荘を本拠地にしていました。現在の町田市下小山田町にある曹洞宗大泉寺の境内が、有重の館跡といわれています。

 

 

 

小山田荘は中世には町田市のほぼ全域に広がっていましたが、黒川村、王禅寺村なども小山田荘に含まれている時代もありました。小山田有重とその一族は、源頼朝の有力な御家人(注参照)ですが、もともとは平氏の出です。

 

こぶし2

 

武蔵国の最大の同族武士団は、秩父一族でした。小山田一族は、この秩父一族の流れを汲むもので、有重の時代に秩父から小山田に進出してきました。

 

 

 

稲毛三郎重成の本拠地は、枡形山(ますかたやま)(生田緑地内民家園北側の山)の周辺で、そのふもとにある廣福寺に重成の館があったそうです。本堂には木彫りの重成像と一族の位牌、境内には重成の墓といわれる五輪塔があります。

 

(管理人):御家人・・・頼朝は自分のもとに集まってくる武士は,御家人としてその土地の所有権をみとめ(御恩),その代わり幕府への忠誠を義務づけた(奉公)。将軍と御家人は御恩と奉公の関係でむすばれ,幕府をささえる重要な柱となった。

      

      (出典:「わがまち麻生の歴史 三十三話」高橋嘉彦著)

             (高橋嘉彦氏の転載許可済)

 

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鎌倉幕府の時代には、私は残念ながら生まれていませんでしたので、今回も高橋先生のご本から引用させていただきました。先生のご本の章タイトルは「多摩丘陵を駆ける武蔵武士」です。

 

わたし達の住む黒川の地も、学校で習った日本の歴史の舞台として、鎌倉時代の武士たちが闊歩していたと思うと、楽しくなります。目をつぶると馬にまたがった野武士が、黒川の野山を疾走している姿が目に浮かびます。