地元の若い人たちにもあまり知られていない、古い歴史を持つ黒川の毘沙門(びしゃもん)大堂とその近くにあったという 今は無いお寺 金剛寺について、今回は考察いたします。
地元の若い人たちにもあまり知られていない、古い歴史を持つ黒川の毘沙門(びしゃもん)大堂とその近くにあったという 今は無いお寺 金剛寺について、今回は考察いたします。
「新編武蔵風土記稿」の「黒川村」によると、真言宗墨仙(くろかわ)山 金剛寺は、上黒川(かみくろかわ)の毘沙門大堂の近くにあり、汁守神社の別当も務めていたと記されています。(管理人注:[別当:本官をもつ人が他の職務の統轄に当たるときに補任される職名])
この寺の山号から考えると、寺が造られた遠い昔から、すでに「くろかわ」の地名があったと思われます。(管理人注:今から1250年以上前)
金剛寺は普段は住職のいない寺で、明治の初めに廃寺になったため、この寺の檀家の人たちは、
廃寺(金剛寺)の近くにある毘沙門大堂には、行基(668年生まれ、749年82歳で病死)の作と伝えられている座像の毘沙門天が祭られていましたが、平成7年心の無い人によって盗難に遭い、現在は残念ながらありません。
毘沙門天は四天王の一つです。
毘沙門天は北方を守るものとされています。
甲(よろい)と冑(かぶと)をつけ、手に宝塔(ほうとう)を捧げ(ささげ)鉾(ほこ)(宝棒)を持ち、常に仏の道場を守って説法を聞くというので、多聞天(たもんてん)ともいいます。七福神の一つとして祭られています。
この黒川の毘沙門天は、甲(よろい)と冑(かぶと)をつけていない珍しい座像です。
(写真の像は、東大寺金堂のものです。)
毘沙門大堂へ続く参道の左側には、平成17年8月に地元の歌人の俳句が刻まれた石碑が建立されました。
(参考:「地域読本 ふるさとへ」
(追補)
毘沙門大堂改修 平成18年10月19日に、改修されました。
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2万年以上も前から黒川には人が住んでいたとお伝えいたしましたが、1250年以上も前に黒川には、金剛寺というお寺があったと考えることも出来ます。これは毘沙門天の作者が行基だという説を採った場合に、行基の年代を適用した時のことです。
なんだか楽しくなってきました。現在は地元のおよそ40人からなる「毘沙門堂保存会」の人が維持管理している小さな祠ですが、人々の思いが連綿と続いている事実に、心が暖かくなります。
この毘沙門堂は、観光的なスポットとして興味本位で訪れて欲しくない場所です。地元の人の心を癒す神聖な所を荒らして欲しくないと思うからです。
やまざる
川崎市黒川(当時の住所表示)の農家に生れる。
来世も菩提寺である黒川の西光寺で、永遠の眠りにつく。
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