2005年11月02日

汁守神社(しるもりじんじゃ) 黒川の鎮守様 

汁守神社石段黒川を守る鎮守様「汁守神社」(しるもりじんじゃ)は、小田急多摩線黒川駅下車。尻手黒川線の道を下り鶴川街道とのT字路を町田方向に沿って300m歩くと、右側にこんもりと茂った森と石段・鳥居が見えてきます。急な石段を登り、石で出来た大きな鳥居をくぐり 次に木の鳥居をくぐると汁守神社の拝殿が目の前にあります。


汁守神社鳥居厳島神社(広島)と同じ両部鳥居であり、四脚の控柱が着いていて、柱頭には台輪がのせてあります。台石には、天保の大飢饉を乗り切った村人が九月の例大祭に奉納した「天保五年(1834年)九月吉日」の文字が刻まれています。 

 

 

 



汁守神社全景

 

 

建築は、本殿一間社流造、千鳥破風唐破風付二層銅板葺、拝殿入母屋造亜鉛葺。

 

 

 

 

神社の創建は不詳だが、神奈川県神社誌によれば「天明二年(1782)十一月、神像造立し社殿再建」と記されています。明治三十七年(1904年)八月に、新しい本殿が立てられました。

明治三十九年に「一村一社」の命が出ると、明治四十五年に上黒川八幡大神、中黒川八雲神社、下黒川日枝神社が大正三年(1914年)九月二十八日に合併合祀されて「汁守神社」となりました。

汁守神社狛犬大正二年(1913年)九月、拝殿が新しく建てられると村の神社に認められました。

昭和二十一年(1946年)二月には、神社本庁に所属し、村社「汁守神社」と称するようになりました。

 

 

主祭神は、保食命(うけもちのみこと)の五穀神、大己貴命(おうじんてんのう)・素戔鳴尊(すさのおもみこと)です。

 

毎年九月一日には、台風の災害がなく田畑の五穀豊穣、豊年満作を祈願する「風祭り」(かざまつり)が行われます。これは拝殿に氏子が集まり、本殿に向かって祈願の拝礼を行うものです。

 

秋の例大祭は、合併合祀の日である九月二十八日であったがサラリーマンの氏子や子供たちの参加に支障がないようにと、最近は九月の第四日曜日に決められています。平成17年は10月2日(日)でした。

 

三頭の獅子頭

例大祭では、三頭の獅子頭によって獅子舞が奉納されてきました。舞獅子頭は、雄獅子が二頭で雌獅子が一頭。この三頭の獅子が稲作の病害虫を食べて豊作をもたらすと信じられてきました。(龍頭の舞については、こちらをクリックしてください。)

 

現在獅子は、川崎市の郷土資料に指定され、中原区等々力にある市民ミュージアムに保存されています。

http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0603.htm

 

 

現在は、本殿に一対の獅子頭を飾り野菜、果物、神酒をお供えし、氏子全員が拝殿に上がって参拝する儀式となっています。

 

当日は、参門にのぼりが立てられ、太鼓の音が響きます。

拝殿では、神社役員、町内会、消防、青年団、子供会等の代表が儀式の拝礼を行います。神楽殿の前では、お囃子にあわせて獅子舞が舞います。子供神輿(みこし)は、お囃子とともに町内を練り歩きとてもにぎやかです。

 

ヤブツバキ

 

 

境内は6,133(,858坪)の広さを誇り、多くの巨大な保存樹が 生い茂り、昼なお暗くて深い森の雰囲気をかもし出しています。

 

境内には、川崎市選定「まちの樹50選」に選ばれた大きなツバキの木「やぶ椿」がすくすく育っています。

 

 

 

 

 

汁守神社は、その昔は「汁盛」とも書かれていたと伝えられています。その由来は、府中の大國魂神社(おおくにみたまじんじゃ)の末社として大國魂神社のお祭り「くらやみ祭」の膳部の汁物を調整したのが起こりであると伝えられています。

黒川の隣の町田市真光寺町には「飯盛神社」(いいもりじんじゃ)があります。「汁」と「飯」で一対の食べ物、つまり農業の神様を意味し、ともに主祭神は保食命(うけもちのみこと)です。

 

ところで汁守神社は黒川のへそともいうべき神聖な場所であるため、住所は黒川1番地として、神社を中心に円を描くように黒川の番地が決められています。

 

黒川に住む人も、はるひ野に新しく住まわれた人も、若葉台(黒川)に住んでいる人も、みんな元は黒川村でした。

 

皆さん!黒川の鎮守様である「汁守神社」を新しい心のふるさととして、どうかことあるごとに、お参りしてください。

また新年の初詣、秋の例大祭などの行事には、お参りしましょう!

 

 

<参考資料>

(1)新編武蔵風土記稿巻之八十一 都築郡之一」

   黒川村の記述部分のうち神社関連の内容のすべて

 

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汁守明神社

 

除地、詳ならず、村の中央にあり、本社は拝殿へ造りかけて大さ二間に四間巽向なり、祭神を傳へず、本地は不動にて木の立像一尺ばかりなるを安せり、行基の作と云、社前に鳥居を立、例祭八月二十八日なり、村内金剛寺の持

 

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   これによると、例大祭は八月二十八日であったことが分かります。

 

(2)川崎市立栗木台小学校発行 地域読本 「ふるさと」